2010年08月01日
そよ吹く風のように…
(撮影/ウリグリース)
鞍馬山を駆け抜ける風…
この風に吹かれると何故かいつも、『諸行無常』という言葉が心の中に湧き起こります。
諸行無常、諸法無我、涅槃寂静という、仏教の三つの根本教理を指す三法印の一つであるこの言葉は、世の中の一切のものは常に変化し生滅して、永久不変なものはないということを説いています。
エハン・デラヴィ…
彼と出逢わなければ、こうしてこのブログを書く自分や、アートを描く自分はいなかったでしょう。
『出逢い』…この人生のシチュエーションの中に、どれほどの見えない愛が隠されているか…
それは自分の人生を振り返り、一つひとつの出逢いを思い返してみることにより、鮮やかに心の中に蘇ってきます。
出逢いは、必ずその後の自分の人生に何らかの影響を及ぼし、時にはターニングポイントとなり、人生の矛先を変えるきっかけとなったり、変化の波に乗るきっかけとなって、自分の背中を後押ししてくれるような出来ごとに繋がっているということに気づくでしょう。

エハンさんは、この7/3の東京でのイベントを最後に本名のジョン・クレイグに戻り、新たな人生のミッションを開始されています。私は諸事情によりこのイベントには参加できませんでしたが、その前日の夜、友人と共に彼の新たな旅立ちを見送ることができました。温かな時の流れとサポートに心より感謝します。

そのエハンさんがエハン・デラヴィという名で出版された最後の著書がこの本です。
奥様の愛知ソニアさんの翻訳で鮮やかに私達の前にルーミーの世界観が浮かび上がります。
本に添えられた帯には、俳優の榎木孝明さんの
『極限の旅人エハン氏を通じ
800年の時を超えて
ルーミーの詩が
私達に光を投げかけてくれる』
という贈文が添えられています。
この本をいつも傍らに置いて、事あるごとに開いて眼を通します。
どの詩も温かく、そして力強く、私の背中を押してくれるものばかり。
この本に今という、この今という時に出逢えたことが、愛おしくてなりません。
ありがとう、エハン・デラヴィ。
鞍馬のそよ吹く風に吹かれながら、ひとひらの風になってその声に耳を澄ますと、
そこにはルーミーの詩の世界が広がっています…
独りになることと沈黙
スピリチュアルな喜びは、独りになったときだけ訪れる
だから賢い人は井戸の底を選ぶ
井戸の底の暗さはここの暗さに勝るもの
俗世界に従う者は決して自分を救えない
大切なもの
それを自分の外の世界に探しなさんな!
あなたは自身がスピリチュアルなミルクの源なのだから
他人のミルクなど搾りなさんな!
何千もの群衆 あなたの誠実な孤立 どちらに価値がある?
国を治める力 自由 あなたにとって どちらが大切なのか?
あなたが自身で選んだこと 自分の部屋ですこしだけ独りでいる時間
それこそあなたにとって何よりも大切なものではないのか
沈黙
恐怖の思考から脱出しなさい
沈黙したまま過ごしなさい
あなたの舌を開こうとする花の蕾のようにさせなさい
話すことと存在することの間を知識は流れる
練りあげられた知識を通してしか道を開くことはできない
意味のない知識 どこにも辿り着けそうもない話など道を閉ざすだけ
グノーシス派の人々は殆ど語らない
だがその内なる世界には神秘で詰まっている
セレブレーション
魂の声に従っているときあなたの心のなかに
川が流れているのを感じるでしょう それは歓びの川です
******************************
スーフィーの賢者
ルーミー“その友に出会う旅”エハン・デラヴィ著 愛知ソニア訳
あらかみさんぞう 重城通子/詩訳
2010年07月30日
命の旋律
【植物の音楽ライブ】
植物が自ら作り出す電位差を音階信号に変換し、シンセサイザー音源を使い音楽を奏でる機械。
イタリアのダマヌールで開発されたものです。
http://www.damanhur.jp/infotop.html
旋律が深く心に響き渡る。人の命と植物の命が共鳴する…。
すべての命が奏でる生命の旋律。心の耳を澄ませば、そこにはいつも命の調べが聴こえます。
長時間演奏(一時間あります)です。じっくりと味わってみてくださいね。
植物が自ら作り出す電位差を音階信号に変換し、シンセサイザー音源を使い音楽を奏でる機械。
イタリアのダマヌールで開発されたものです。
http://www.damanhur.jp/infotop.html
旋律が深く心に響き渡る。人の命と植物の命が共鳴する…。
すべての命が奏でる生命の旋律。心の耳を澄ませば、そこにはいつも命の調べが聴こえます。
長時間演奏(一時間あります)です。じっくりと味わってみてくださいね。
2010年07月29日
ArtはHeart

【Pisac / The Sacred Valley】 (聖なる谷・ピサック)
ペルーから帰国してしばらくして、一枚のアートを仕上げました。
壮大なパチャママの大地に抱かれながら、その時に体験したこと、その体験によって深く感銘をうけたこと、肉体の眼で耳で、そして心の眼で耳で見て聴いて感じたこと…
アートは、言葉で表現できない世界を映し出すことのできる、全宇宙共通の言語なのかも知れません。
2010年07月26日
心はいつもSmile
ご無沙汰しています!
梅雨明けから連日の猛暑、皆さまお元気でお過ごしでしょうか?
しばらくブログをお休みしていますが、私は元気です!
読者の方から、あまりにも更新がないので、旅に出られたか、体調でもお悪いのか…と、お元気ならばブログで『生きている』とだけでも書いてくださいとの、温かなメールを頂きました。
ありがとうございます。ウリグリースを感じてくださって…! とっても嬉しかったです。
画像容量を一杯にしてしまって、どうしても写真が追加でUPできないことが、ブログの執筆から遠ざかってしまった理由の一つではあるんですが、日々身の回りに、リアルタイムで起こりつつある、時の流れをじっくりと感じて過ごしてみたいという気持ちがそうさせたのかも知れません。
一つひとつの出来事がすべて人生のパズルの大切なピースであり、すべてが連動しモチーフとして繋がって私を創り上げている。Pure Heartがこの奇跡のような自然のシステムを、さらに深く感じたくなったのだと…
とにかく何でも感動しながら生きる。人が何と言おうとも、どんな小さなことでも感動して生きる。
そうすると、この世に存在するものがいかに素敵で素晴らしいものかが分かる。自分の感性というアンテナを研ぎ澄ませていると、色んなものから発せられる信号に敏感になります。それが自然界の声を聴くということなんですね。
野に咲く草花、大空を流れる雲、そして鳥達、呼吸することで感じる空気、燦々と輝く太陽の光、夜空の星の美しさ、神秘的な月明かり、そよ吹く風の心地よさ…
昨年の冬至(現地は夏至)に南米ペルーに旅をして、インカの民たちが崇敬する大地の神パチャママを感じた時に、私は日本で表現されるところの『森羅万象』という言葉を、ヴィジョンとして体感するという経験をしました。
自然界のすべてのものに魂が宿り、私達はそういう自然から見えない恩恵を受けて生きている、そして私達も同じ命として、自然界と同化して生きることのできる生命体なんだということを、深く肌で感じたのです。
そういう世界に触れて帰国したあと、文章が全く書けなくなりました。
頭で考えたことを文章に起こすことはできますが、心で感じたことを文章にすることはできないと痛感したんです。多くの文章に触れそれを知識として詰め込んだとしても、自らが体験したこと、経験したことから得たことにはかなわないって。
人は、それぞれ日々色んなことを経験しながら人生を歩んでいます。それがどんなことであっても、その経験からしか見えてこないもの、そして身につかないもの、感じ取れないものがあると思います。そしてそれはその人にしか味わえない宝物だと思います。
だからね、人生の途上に起こる数々のドラマを、深く味わって生きていきたいなぁって思うんです。
そして常に変化していくドラマを柔軟に受け入れて、変化していく自分を感じたいなぁって。
今日は、マヤ暦の新しいサイクルの始まりの日。
そして満月。
時を見つめて、その時の中に、その時を感じる自分の中に、次の世界に繋がる扉の鍵が秘められている。魂の旅、意識の旅って、そうして内なる扉を開き続けていく旅なんじゃないかなって思います。
私の大好きな角松敏生さんが歌う、千秋とのデュエットSmile…
とっても素敵な曲です。是非聴いてみてください。
私達の間には隔たりなんてない。
私達は奇跡の空間に住んでいる。
どんなに離れていても、信じ合うことで、時空を飛び越えることができる。
だって、自然界のすべての存在は、すべて融け合える存在なんだもの。
笑顔をいっぱいいっぱい思い出して、心を笑顔でいっぱいにしてください。
2010年03月29日
地球号の乗組員として感じる地球
2010.1.15 部分日食
沖縄で撮影された、三日月のように欠けた太陽の日没を捉えた映像です。
こんな風に太陽が見える惑星が、広い宇宙にはきっと沢山あることでしょう。
でもだからこそ、この光景に地球という惑星を感じてしまうのです。
この時代を生きる私達にしか出来ないことがあります。
今この時代、この時に、この星にいて
今この時にしか見えないものを見て、聴こえないものを聴いて、感じることのできないものを感じて、積み上げることのできないものを積み上げることができるのは、私達しかいません。
ウリグリース
2010年02月04日
新たな時代へ向けて
ご無沙汰しました。
昨年の11月11日のエントリーをUPした時点で、このブログが持つ画像容量の上限を超えてしまい、写真をUPすることができなくなってしまいました。
THDの担当の方にお聞きすると、容量の増量はできないので、過去ログの画像を削除してご使用くださいとのお返事を頂きました。でもいざ写真を整理削除しようと思っても、私のブログの写真と記事は密接な関係で繋がっていて、どうしても切り離すことができないのです。
悶々と思考錯誤を繰り返すこと3か月....。
この間にも時は流れ、私は憧れのペルーの聖なる谷に立つこともできました。
冬至の日に言葉にならない人生観を覆すほどの深い体験をし、その感動を胸に抱いたまま年明けを迎えました。
真っ白になった心のフィールドにまたPure Heartを響かせていきたいと思っています。
言葉を紡ぐ、それは言霊を紡ぐこと。
心に響いたもの、響いたこと、そういうものをヴェールで包むことなく在りのまま伝えていきます。写真がUPできないのならば、ビデオもありますね。私のお気に入りのブログの一つに、写真は使用せずラストに必ずメッセージ性に富んだミュージックビデオをUPされているものがあります。
映画は心を映像として表現したものです。私は趣味でシナリオを手掛ける中で、映像が心と心の架け橋になる素晴らしさを肌で感じてきました。すぐれた映像は、瞬間にして見るものの心を鷲掴みにし、深いメッセージをその心に刻み込みます。
ジェームズ・キャメロン監督の『AVATAR』は、そのことを言葉を超えた言葉で感じさせてくれました。
新しい『Pure Heart』の最初の1ページに私が選んだのは、このライオンのクリスチャンの物語....。
Pure Heartはすべてを繋ぐ架け橋です。
ウリグリース千賀子
2009年11月11日
ぬくもり

心と心の温め合い
深い思いはぬくもりとなって伝心する
それは時に
見えないところに道を作り
固く閉じられた扉を押し開き
冷たく凍った氷塊さえも解かし去る
Posted by ウリグリース at
11:58
2009年11月03日
沈まぬ太陽
引き続き映画の紹介となりますが…
山崎豊子さんの原作を読んだ時から、是非映像化されたものが見たいと懇願し続けていた作品です。それは私だけでなくこれを読んだ多くの読者の方、そして執筆された山崎豊子さんご自身の夢でもありました。
そして主演の渡辺謙さんは、原作者の山崎豊子さんに長文の手紙をしたため、是非とも主演の恩地を演じさせてくださいと懇願されたそうです。彼はこの作品が映画化された時に、絶対に恩地を演じると心に決めていたのだとか…
その思いが深く心に響くような素晴らしい演技。
もう言葉になりません。日本映画初、3時間22分に及ぶ超大作です。
表現に制約がないと言えば嘘になりますが、それでもこの次元で許されるギリギリのラインを踏み、その核心に切り込んだ作品を作り上げた映画人に心から拍手を送りたい。
デリケートな題材の裏側に秘められた多くの魂に思いを馳せ、鮮やかにその姿を浮かび上がらせてくれたことに、感動の涙が止まりませんでした。
自分に生まれて、自分を生きるということは?絆とは?
最近あらゆるものが私の前にシンクロしてきます。
どれもこれもとても大切なメッセージを携えて、私の元にやってくるのです。
何一つ疎かにできないものばかりです。
ベートーヴェンの悲愴ソナタ第2楽章は、私がベートーヴェンのピアノソナタの中で最も好きな楽曲です。その調べがこの映画のテーマ曲として選ばれていること、そして尊敬する脚本家、西岡琢也先生がシナリオを手掛けていらっしゃるということも、私にとっては感動のシンクロです。西岡琢也先生は、私が以前応募した新人シナリオコンクールの審査員も務められていた方なんですね。
ベートーベン ピアノソナタ 第8番「悲愴」Op.13 第2楽章
2009年11月02日
映画2012
地球も生命体なのです。生きているのです。
私たちはその上に住まわせてもらっている生命体。
地球は私たちの所有物ではありません。
住まう星の命を感じたことがありますか?
感じてください、母なる大地を…
耳を澄ませて聴いてください、母なる大地の声を …
チューニングしてください、地球の心に…
その偉大なる生命体への尊厳を忘れ去った時に、
文明は内側から崩壊を始めます。
星が生まれ変わろうとする時、それは私たちも生まれ変わる時。
新しいものが生まれる時、古いものは崩れ去ります。
あなたは古いものとして崩れ去る方を選びますか?
それとも新しく生まれ変わる方を選びますか?
2009.11.21(土)より 全国ロードショー。
2009年11月01日
憧れ続けたペルーの大地へ

この美しい布は、ペルーのアマゾン流域に住むシピボ族のアートです。
150cm×150cmのかなり大判の素敵な布。一目ぼれで即買いしたものなんです。
泥染めの上にとても精巧な刺繍が施されているのですが、このシピボ族のインスピレーションによって描かれるフリーハンドの線画の世界は、閉ざされた世界と開かれた向こう側の世界を橋渡ししてくれるかのように見る者の深いエリアを刺激します。
彼らは独自の文化を持ち、アニミズムに根差したシャーマニックな世界観に生きるとてもピュアな民族です。
ピュアなものはピュアなエリアにダイレクトに響き渡ります。そしてそうでないものには心は率直にその反応を返してきます。この心のセンサーを大切にしたいなぁっていつも思うんです。現象界に生きていると時にそのピュアな感性は、思い込みとか考えすぎとか気にしすぎとかという、理屈のベールに掻き消されそうになることが実際多いことも確かです。
私は幼い頃からこのセンサーが少し敏感だったように思います。しかし自分の生い立ちを振り返った時に、このセンサーが窮地を救ってくれたり、大切な人を守ってくれたりしました。きっと、今回は欲張っていっぱいいっぱい課題を詰め込んだ人生計画を立ててしまったので、宇宙がこのセンサーを少し敏感にして、ハードルが現れた時や峠や急峻な崖に出会ったときに、助けになるように配慮してくれたのかもしれません。
センサーが敏感ということは、感受するエリアが広いということ。喜怒哀楽の振幅がとても広くなるということでもあるんです。感じやすいと言ったらいいでしょうか?でも、デリケートと言われるものとはまた違うと思います。でもね、だからこそ、美しいものは数倍美しく、悲しい時はとことん悲しく、嬉しい時はとてつもなく嬉しく、楽しい時は誰よりも楽しい…と、与えられた感性という宝物を思う存分体感することができるんです。
このセンサーはありとあらゆるシーンで働くんですね。普通なら気付かずにやり過ごしてしまうようなシチュエーションの中に、とても大切なサインが込められていることや、立ち止まる必要のないような場所にとても重要なメッセージが隠されていたりすることを教えてくれるのです。
それは自分の内側の一番深いエリアに響き、私に大切なことを知らせます。
スピリットが鳴動することによって、通り過ぎてはいけないこと、立ち止まってしっかりと感じることを知らせ、今の自分が一番見つめなくてはならないことを浮き彫りにしてくれるのです。

それは光と闇、相反するものが同時に浮かび上がることもあります。
とかく人は、光は美しいものポジティブなものと崇め闇を忌み嫌いますが、でも、お互いが姿を映し出しあえるからこそ私たちはそれを認識することができるし、感じることができるし、またその先に繋がっていくものを探し出していくことができるのです。
何かを感じたときに、否定せずに感じたまま感じてみること。それが心地よいものであってもそうでなくとも、ジャッジすることなくまずは感じてみることなんです。するとね、例えばそれが心地よいものでないとしても、臭いものに蓋をして抹殺するようなことができなくなります。その中に何か光るものが隠れていることを、この心地よくない感触が教えてくれていると感じられるようになるんです。
つまり排除しようとしてもどうしてもできなということを痛感させられるわけです。
それを自分の内側に引き込んで、しっかりと見つめてすり合わせて、違う形にシフトさせ統合させていくプロセスこそ、感性を授かった私たちにしかできない宝物なんですね。
その宝物をね、与えられた以上に思う存分味わいたいなっていつも思うんです。
内側の世界は宇宙と同じ、大きな世界に繋がっています。その世界の中で私たちは如何様にも変化していくことができます。変化しないものは宇宙には存在できません。私たちは変化することを定められた命の一部でもあるのです。
私がアートを描く時に見る世界観が、このシピボ族のアートの中にあります。
変性意識という状態は、この世界の観念に縛られない世界です。観念と感性は違います。観念は後天的に押しつけられたものでこの三次元世界限定のもの。感性は自由で、魂が元々持ち合わせる多次元的なものです。
この感性を研ぎ澄ませることは、スピリットの声を聴くことでもあると思います。スピリットの声に忠実に歩むことが、自分の本質が一番望んでいることなんじゃないかな。

女神アート 【パチャママ(Pachamama)】
スピリットの声に導かれて、12月、私は憧れのペルーの地に旅立つことになりました。
現地で迎えてくれる素晴らしいシャーマンのPaulの元で、大地の女神パチャママと繋がり、母なる地球と心ゆくまで語り合いたいです。
2009年10月25日
スランプはステップ台

冬季オリンピックシーズンに入り、フィギュアスケートのグランプリシリーズが始まりました。
第一戦目のフランス杯では、韓国のキム・ヨナ選手が圧倒的な強さで優勝。浅田真央ちゃんはその実力を出し切ることができませんでした。
第二戦目のロシア杯でも、真央ちゃんは、SP(ショートプログラム)でトリプルアクセルが決まらず、大減点により6位と大きく出遅れました。
彼女の背中に圧し掛かるプレッシャーは相当なものだと思います。
でもね、荒川静香さんもオリンピックのシーズンはそうだったんです。スランプ続きで得点が上がらず良い成績が残せませんでした。しかし彼女はあきらめずに調整を重ね、自分に与えられた課題を淡々と消化し続けました。そしてオリンピック開幕を一か月後に控えた土壇場で、コーチを変え、プログラムを変更するという、まずフィギュア界では考えられない『常識』を覆す決心をするのです。
決められたレールから自分の意思で脱却することを望んだ彼女は、世界中の人々の心に残る最高の演技をし、見事金の花を咲かせました。
制約の輪から出て、心から自分自身を感じたときにそれはやってくる。
それを思う存分味わえたときに約束されている確かなものがあります。
諦めない。
既存のルールに縛られない。
敷かれたレール上に安住しない。
バイブレーションに乗ってやってくる直観を見逃さない。
スピリットの声を信じること。
自分の望むものをデフォルメしない。
スランプの時こそ、最高、最大のステップアップのチャンスの時。
それはこの世的にも、魂的にも大きな大きな成長を促されている時でもあると思います。
人それぞれ、そのステップ台を跳躍する力があるからこそ、そのステップ台は姿を現します。
スピリットの声、魂の望む声を率直にピュアハートで受け止めるとね、そこに限りない自愛と自信が生まれてきます。あなたにしか創り出せないものがあるんですよ、だから自信を持って進みなさい…ってね。スランプとは、それを教えてくれる宇宙の大いなる慈愛です。
2009年10月18日
2009年10月07日
ChangeとPromise

母校のHPで見つけた写真。
ChangeとPromise。直訳すれば『変化』と『約束』となります。
でも実際、この言葉に秘められた意味はとても深いと感じるのです。
『変わっていくもの』と『変わらないこと』
『変わりゆくものを受け入れる勇気』と『変わらないものを信じ続ける信念』
Changeとは常に変わっていくもの。
Promeseとは絶対に変わらないこと。
一度交わされた約束は、どんなことがあっても揺るがない。そういうもの。
それを信じ続けることが『約束』なんだと思う。
変化は揺るがぬ約束が支えるものであり、揺るがぬ約束は変化の原動力でもあると深く感じます。
お互いが連動し合い、助け合い、補い合っているものだと。
でも時に、揺るがないと信じていたものが崩れていくのを見ることもあるでしょう。辛いことかも知れませんが、でも、『それは変化するものだったのですよ』と、時の風が教えてくれているのだと思います。
受け止めて、受け入れて、大切に味わって、感謝して、時の風に委ねましょう。それがまた新たな風を運んできてくれることでしょう。
2009年10月04日
Earth Pilgrims 地球巡礼者

エハン・デラヴィ監督が、講演活動、執筆活動を一時中断して、情熱のすべてを傾けて制作されたドキュメント映画、映学Earth Pilgrims (アース・ピルグリム) 地球巡礼者が5月に完成。現在全国で上演会が開かれています。
「アースピルグリム」は、「危機的状況にある地球に住む私たちはどのように変化すべきなのか」ということを、世界的な賢人8人から英知あふれるアドバイスを収録した「これからの時代に必要なメッセージ集」とも言えるドキュメンタリーです。
(エグゼクティブプロデューサー・濱本学泰氏のコメントより)
http://www.earthpilgrims.com/japanese/index.html
私達は何時から繋がりを忘れてしまったのでしょうか?
すべてのものは繋がり、そこからすべてが生まれます。今を生きる私達にとって一番大切なことは一体何なのか? この映像は言葉を超えた言葉でもって、そのことを深く深く心に伝えてくれます。
私達は皆、地球号の乗組員。地球の大地から恩恵を受けて生命を花開かせています。その母なる大地との繋がりを意識して生きること、すべてのものの中に繋がりを感じて生きること、するとそこに私達が一番大切にしなくてはならない宝物が見えてきます。その自分の内にある宝物を掘り起こして実践すること、それこそが地球巡礼者なのだということをこの映像は教えてくれるのです。
日本語翻訳版に続いて先月英語版も完成。世界の大海原に船出しました。
一人でも多くの人の心に届けたい素晴らしい映画です。
この映画は、今の時代の諸問題を解決するための探検なのです。
なぜ地球環境は崩壊に向かっているのでしょうか?
その答えは、私たち一人一人の心の中にあるのです。エハン・デラヴィ (監督メッセージより)
http://www.facebook.com/pages/Earth-Pilgrims/137803437768?ref=ts
facebookのfanページです。
2009年10月03日
プロセスが映し出して見せてくれるもの

新たな月に入りました。
個人的には、以前からずっと括りたかったことがあり、それを9月の末で大切に括り上げました。
このPure Heartとは違うその言葉の世界で、約一年綴り続けた日記と、そこに残された多くの方達から頂いたコメントを感謝の思いと共に、大切に宇宙の図書館の記憶保管庫に移しました。
どうしてそうしたくなったのか、それは頭で考える世界では答えの出ないことかも知れません。
それは純粋にスピリットがそのことを望んだ結果。つまり自分が一番望んでいることの現れなんだと思います。
人はその対象に見返りを求めようとする意識が働くと、それは次第に期待感に姿を変え、やがて内側に宿る真実を見極める目を曇らせていくことになります。
必要なものはすべて自分の内側に備わっています。外側にそれを求めようとしても、決して満足のいくものは得られないでしょう。他人のアドバイス、他人の助言、それはあくまでもヒントであって、それらが自分をチェンジさせるのではありません。チェンジは内側から、自らの意識から自発的に成されるものです。
でないと、いつまでも満足のいく答えが得られずに不満の種は心の中に燻り続けます。
答えが得られるものは頭で考えることで、心で感じる世界に答えはないからです。答えとは一つの問いに対して一つしか得られないもの。心の世界は多次元ですから答えは多次元的に切り口を変えて無数に現れてくると思います。それは頭では捉えきれないこと。
私達は制約の多い世界に生きています。その制約の多い世界の中で、更に自分の心に制約を掛けてしまうことだけはできるだけしたくないな…。それがこの世的には、『自由』という言葉で表現されるものですが、自由とはこの世の幻想の罠にはまらないことであるとも言えます。
社会通念、流言、思い込み、エゴ、プライド、自己否定、そういう外側が作り出した幻影の中に迷い込むと、心は激しい葛藤の渦に巻き込まれます。それが不安や恐怖という感情を生み、自分の中に更なる幻影を作り出してしまいます。
しかしどんなことであっても、それはそれに自分が気付くためのプロセスであり、何一つ偶然はなく無駄もないと思います。それが自分の前進に必要だからこそ映し出されているとも言えます。
そしてそれに意味を見い出すのは個人個人の意識の問題であり、他者が強制的に意識付けなどできないものです。決してコントロールできません。
自信とはどんな状況であっても、自分を信じる力。自分を信じる勇気。
この中に、自由を満喫する宝物が宿っているといつも私は感じます。
2009年09月25日
秋分点、島と山それぞれの聖地にて

以前の日記にも書きましたが、惹かれて仕方のない聖地に行く日を、9月の22日~23日に決めたのは8月の11日のことでした。三次元的な都合を考える前に直観で決めてた。
その頃がちょうど秋分点に当たることに気づいたのはずっと後のことでしたが、自分の身の回りに起こるすべての事象が、この日に向かうための大切なサインなのだと感じるようにもなっていました。
その待ちに待った日、長浜を散策した後、長浜港より琵琶湖汽船のジェット船で憧れの島に向かいました。
とにかく惹かれて仕方のなかった、奥琵琶湖に浮かぶ神秘の島『竹生島』に降り立った時に感じたのは、胸の中心を貫くような力強いエネルギーでした。龍神のものだと感じました。そして同時に温かなエネルギーも…そのエネルギーの正体は島に降り立ってしばらくして明らかになることになります。

竹生島神社は都久夫須麻神社とも言います。ご祭神は弁財天と龍神。
本殿は、豊臣秀吉が寄進した伏見桃山城の束力使殿を移転したもので、国宝に指定されています。黒漆塗りの桂長押には金蒔絵(高台寺蒔絵)が施され、狩野永徳光信の作の60枚の天井画には目が釘付けになりました。もう見事としか言いようがありません。
もう一人の巡礼の旅人の友人と共にご祈祷を受け、神恩に感謝。心の奥深くで繋がる神々とのご縁にお礼を申し上げて、テラ(地球)へ私なりの想いを送ります。祈りって一方向的のものじゃないと思います。意を乗せて想いをやり取りする双方向的ものなんだ…ってこういう時にいつも感じますね。
この神社は弁財天と龍神をお祭りしていますが、龍神への祈りは、琵琶湖に張り出した遥拝所へもさせていただきました。すぐ脇に壁に貼られた龍神祝詞を見つけたので、それを見ながら…
そしてその遥拝所の鳥居へ向け、持参した勾玉を奉納させていただくこともできました。

龍神には逞しく力強い男性性を感じ、弁財天には優しい女性性を感じます。そして、私がこの島に感じた、男性性と女性性の融合、統合のバイブレーションはこの地にお祭りされている神々とも深い繋がりがあったんですね。そしてそれを更に深く感じさせてくださったのが、隣の宝厳寺観音堂に祭られているご本尊の『千手観世音菩薩』でした。(千手観世音菩薩は正しくは『千手千眼観世音菩薩』と言います。)

観世音菩薩は男性でも女性でもない両性具有の存在だと、先日Kagariさんのブログで読んだところだったのも、温かなシンクロでした。
http://mihoh.seesaa.net/archives/20090910-1.html
卵子と精子が出会い受精して一つになる融合の場所。私が卵巣の形をしたこの島に惹かれて仕方がなかったのは、私達の未来の姿が、この神秘の島の神々の中に体現されているからなんだと思いました。
そして千手観世音菩薩は、鞍馬寺の三体のご本尊のお一人でもあります。
次の日に鞍馬寺の地下の拝所の千手観音菩薩像の前に立った時に、この不思議なシンクロのメッセージが痛いほど心に伝わってきて、言葉では表現できない感情で心が一杯になりました。

『オン・バザラ・タラマ・キリク・ソワカ』(千手観世音菩薩の真言)
ありがとうございます。
当初は奥の院から貴船に下らないで鞍馬寺に戻るつもりだったのですが、当地に立ったあとにどうしても貴船神社の奥の院に惹かれて、半ば強制的に貴船側に下ることになりました。
今回の旅の最終地点は此処に導かれました。

貴船神社奥宮本殿の西側にある『船形石』
神武天皇の母神・玉依姫が浪速(今の大阪)より水源の地を求め、黄色の船に乗って鴨川をさかのぼり、上流である貴船川のこの地に至られたとき乗ってこられた船を、人目に触れないように小石で積み囲んだと伝えられています。
水に始まり、水に終わる。
琵琶湖の水、比叡の山を超えて鞍馬、貴船の水。
出雲の石見銀山でエハンに教えてもらった水の精霊を讃える歌、『アクア・リンダ』を口ずさみながら、あの時と同じように素足になって川の水と一体に…
最初から繋がっていたのですよ…と教えてくれるように現れた、帰りの叡山電車の中の
吊り広告の『竹生島クルーズ』のポスター。

今エネルギーのうねりが凄くて、それが体調に現れてきてしまうことも多くて、この8月末あたりからとても調整や調律が難しい時が何度かありました。この秋分点でさらに向かう方向が更新され、地球は着実に歩みを進めているように感じます。
統合はどちらの属性も大切にしながら、新たな物を構築していくことでもあると思います…そしてそのプロセスにおいて私達は本来の『素』に戻っていく。意識と意識の世界においては心にヴェールをかぶることはできません。やっぱり『Pure Heart』なんだな。
とても実り多き素敵な巡礼の旅となりました。今後に大切に結び繋げていきたいです。
2009年09月19日
看護系雑誌にPure Heart デビュー

7月の中旬の事でした。
私のこのブログPure Heartを読んでくださった、月刊 Nurse Call (ナースコール) という看護系の月刊誌の編集記者の方から、『癒しと看護』について、是非とも特集記事を執筆していただけませんか?という執筆依頼のメールを頂きました。
とても有難い、そして嬉しいお話だったのですが、しかし、何の制約もなく自由な舞台で執筆している私が、何かしらのテーマという制約の中でいつも通りの執筆が出来るかどうか自信が無くて、最初このお話を受けるかどうかとても迷いました。
しかしそんな私を、『今まで貴方が書き続けてきたように、何事も偶然というものはなくて、すべては必然として今までの結果が、次への橋渡しへの役割を担って自分の目の前に顕現化されてくるということなのであれば、この貴重な機会を最大限に生かすことが、今の貴方が向かうべき大切な道なのではないのですか?』と、もう一人の自分が力強く背中を押してくれました。
そしてそれから8月中旬にかけてこの記事の原稿執筆に入りましたが、このたび、担当編集者の松永さんの温かいご助力と導きによって完成。9/15発行、10月号の『癒し、癒される療養空間考』という巻頭特集として掲載されました。

編集者の松永さんが心をこめて編集してくださった誌面は、編集のプロの方の仕事を肌で感じる結果となりました。やはり何でもプロと名の付く方の仕事は凄い。
私の個性を最大限に生かしながら、更にプロの修正と校正が入り、全く新しいものへと生まれ変わる。ああ…この間の石見銀山のセミナーの時に、大森地区の街並みや他郷・阿倍家のビフォーアフターの中にそれを深く感じて感銘を受けたところです。でもその後に、まさか自分の執筆の世界でそれを味わうことになろうとは夢にも思ってもいませんでした。自然が教えてくれるメッセージ、サイン、心の琴線に響く未知の領域からの教え。有難いと思います。そういうサインを大切にして、次に繋げる種を育てていきたいなって思います。
そして最初の読者は他ならぬ私です。自らが執筆した内容を心の眼で読み、そして心の耳で聴き、自分の筆を通して語られる一つひとつからフィードバックを得て、それがまた更なる気づきに繋がっていく…。執筆家としての醍醐味は、実はこの自分によって執筆されたものから得る強大なフィードバックにあるのです。

全国の多くの仲間達の心に届いたらこんなに幸せなことはありません。私は他の病院に行っても、同じ職種の彼女たちが生き生きと仕事をしている姿を見るのがとても好きです。使命感に満ち溢れたあの目を見る時、ああ…私もこの目を忘れずに歩み続けたいなっていつも思うんです。
私が知り得るナース達は、みんな博愛精神に満ち溢れた白衣の天使たちばかりです。ナースを経験すると分かりますが、みんなもの凄い葛藤を乗り越えて成長の過程を歩みます。命が相手なのだから当然と言えば当然。その厳しい世界で何度も何度も涙を流しながら、小さな種は大きな大輪の花として育っていくのです。
私の宝物は、このような多くの仲間の姿を垣間見れたことかもしれません。
無心で仕事をこなす時、心は無意識界の中にいます。禅では『無』、般若心経でいうところの『空』の境地。しかし其処は確実に何かが大きく育つ場所でもあるんだなって感じますね。
その中に意識の旅を歩む私達のテーマが見え隠れしています。
届け宇宙の果てまでも。彼女たちに最高の安らぎが訪れますように。
ありがとう、ここまで私をサポート、アシストしてくれたすべての存在に心から感謝いたします。
松永さん、本当に本当にありがとう!
2009年09月11日
聖母マリアと共に

先日のことでした。
昨年の夏に、愛するご主人を病気で亡くされたご婦人と久しぶりに再会しました。
生前ご夫婦でお姿を拝見することもよくあってので、私も亡くなられたご主人のことをよく知っています。
世間話などしているうちに、話題は自然とご主人との思い出話になっていきました。
『姿はなくなっても、いつも近くにいるような感じがするの』
眼を潤ませて語られるその言葉は、ご主人に対する限りない愛情に満ち溢れています。
『でもね、やっぱり直に感じたい』
ポツリと口にされた途端に、その方の眼から涙がポロポロと溢れ出だしました。
『思い出は宝物ですね…』
思わず口をついて出た私の言葉に、うんうん…と頷かれます。
『思い出が新しい未来を創りますね…』
自分の思いを解放されたかったのでしょう。その途端に私に抱きついて号泣を始められました。
『ずっとずっとご主人と繋がったままですよ…』
ハグしながら背中を撫でると、その方の想いが怒涛の如く私の胸に流れ込んできました。それは悲しみのバイブレーションではなくて、とても優しくて温かな愛に満ち溢れたものでした。
『ありがとうございます』
素敵なプレゼントを下さって…
上の写真は、ミケランジェロの『ピエタ』といいます。
ピエタ像のマリアは、私が最も愛するマリアの姿なんですね。
十字架に架けられたイエスを下し、打ちつけられた手足の釘を抜き、射抜かれた胸をぬぐい、労をねぎらい、愛する我が子を畏敬の念と共に優しく抱きしめるマリアの姿。この時のマリアの意識に自分の意識をトレースさせると、涙がね止まらなくなるんです。ハートの中心の大きな扉が開くのです。すべての人が持ち合わせる神性の部分ですね。

私の母校は『ノートルダム』と言います。
ノートルダムとは『キリストの母・聖母マリア』という意味です。
物心ついた頃から私の中にはいつも聖母がいました。
万教帰一、それぞれの宗派にそれぞれの教義が存在するのでしょうが、私達は一なる至高の根源の元にて元々一つです。『愛』を表現し、受け止めることは、いかなる教義にも影響されるものではありません。
そもそも愛を定義することなんてできないと思うのです。それは形にしても言葉にしても、定義し尽くせないものだと思うからです。この肉体をまとう身であるならば、そのぬくもりそのものが愛でもあります。ぬくもりを伝えることのできる素敵な存在。それは私達だけに与えらた特権であり、肉体を去ったあとにもその感覚はしっかりと残っていくものだと思います。その中には言葉にできないものが沢山詰まっています。
『このような時、聖母マリア…あなたならどうされますか?』
無意識に心の中で、こうマリアに問いかけている時があります。
これは聖母マリアに依存しているという意味からではなくて、今回女性として生を受けたのですから、やはりそれを身近にいつも感じて意識の旅の歩みを進めていきたいという思いからなのだと思います。そして内なる自己との対話とは、こういう時に為されているのだと感じる時があります。聖母マリアへの問いかけは、他ならぬ内なるスピリットへの問いかけでもあるんだな…と。
2009年09月09日
龍体の腹の湖

奥琵琶湖の、長浜(東岸)と近江今津(西岸)の間に浮かぶ神秘の島があります。
その島の名は『竹生島』。
近いうちに訪れることになっているこの島に、とにかく惹かれて惹かれてどうしようもない。
色々と竹生島のことを調べてみて分かったのは、日本列島が龍体とすれば、琵琶湖はちょうど子宮に当たり、竹生島は卵巣と卵管に当たるのだという。
此処まで辿りついた時に、そうだったんだ…これで強く惹かれた訳が分かった…とやっと深いところで腑に落ちた。
卵巣から排卵した卵子は、卵管の膨大部という場所で精子と出会い受精します。男性性と女性性が融け合う場所がこの卵管膨大部で、此処で数億の精子の中から、たった一つの精子だけが卵子の核に入ることを許されます。受精の瞬間に卵子は他の精子をシャットアウトしてしまいます。しかし、このたった一つの精子の受精も、他の数億という精子がいたからこそ成り立つ受精で、高い次元から見れば、すべての生命誕生のプロセスは崇高なる存在のサポートを受けているんだな…と、産科婦人科学を専攻する私は、そのことを学びの過程で常々感じてきました。
そしてこの卵管膨大部で受精した受精卵はコロコロと卵管を泳ぎ、子宮に着床し妊娠を成立させます。胎児の発育とともに子宮は大きくなり、柔らかな水、羊水に包まれて出産までの時期を過ごすのです。この羊水に満たされた子宮が、琵琶湖に当たるという訳なんですね。
私達はすでに、命となった時に男性性と女性性をどちらとも命の中に授けられています。それは陽と陰、それ以外にも感性や感情など、まったく違う二つの属性を内側に携えながら歩んでいて、時にどちらかが、そして時にどちらかが強くでて反発し合うような時もあります。
でも元々内側では一つです。
どちらの属性も大切なもので、切り捨てたりできるものではありません。お互いを認め合い、新たなるステージに結びつけていくものを模索しながら、今あるものを更なる形へと昇華させていくこと。
このことを私は今回の琵琶湖と竹生島に惹かれる気持ちの中で、気づかせていただくことができたような気がします。
実際に神の住む島、島自体がご神体のような卵巣の島に立った時に、私は一体何を感じるのでしょう? 立ってみないと分からない、そして其処に向かわないと得られないものなのでしょう。
2009年09月02日
邪を寄せ付けない

インフルエンザウイルスは普通冬期に流行するものです。ウイルスが低温と乾燥を好むからなのですが、新型インフルエンザは、この夏の高温多湿の中でもどんどんと出続けました。普通の期間型の従来のインフルエンザが夏に出ることはまずありませんでしたから、うーん、やっぱり新型なのでしょうか。うちのクリニックでも8月に入った途端新型と思われるタイプが続々と出だしました。PCR法という遺伝子検査をしないと『新型』とは断定できないのですが、夏期に簡易タイプの試薬がA型を示せば、ほぼ新型と言っても間違いはないようです。
これから、益々新型インフルエンザの話題が世間を賑わすようになってくるかと思いますが、そのようなニュースの波に煽られて、戦々恐々として恐れを抱かないようにしていただきたいのです。恐れは、それと同じ振動数のものを引き寄せてきてしまいます。それよりは、体力や気力を充実させることに意識を向けて、前向きに捉えてみましょう。充実した心身というのは、エネルギー的にも充実していることでもあり、意識の在り方も充実している時でもあると思います。そういう時は体内の免疫細胞たちの働きも活発ですから、体は強いバリアーでしっかりと守られ邪を寄せ付けません。
立ち起こる事象の中に宿るサインに敏感になること…するとそこに、何か大切な学びが隠れていることに気付けるのではないでしょうか?


